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【スレ40】幼児の時に余命2週間と診断されたことがある人

394 名前:おさかなくわえた名無しさん 2009/02/07(土) 20:42:03 ID:Sh3wHZOs

余命○日って言われて生還した人いない?

あきらめて全財産使って失敗したとか、
全部清算しすぎて生活できなくなったとか


403 名前:おさかなくわえた名無しさん 2009/02/08(日) 09:59:33 ID:pQNeCyaU

>>394
幼稚園児の時に余命2週間と診断されました。

流れとしてはこんな感じ。

体調不良を親に訴えると
地元の小児科に連れて行ってもらう。
↓
そこの先生、一目見てぶ厚い医学書を取り出し確認を始める。
そして「大学病院に紹介状を書きます。そちらに行ってください。」と言い
大学病院に行く事となる。
↓
大学病院で診察を受けると、一目見て
「今すぐ入院です。」と言われて病棟へ行く。
その時エレベーターで上の階に行ったので
そのことがすごくうれしかった事を覚えている。
ちなみに時代は昭和40年代末。
↓
急遽入院することになり親からは
「2週間で退院できるよ。」と言われる。
自分は2週間で家に帰れると思いお泊まりの感覚でいた。
でも、実は医者から
「お宅の息子さんはあともって2週間です・・。」と言われていた・・・。
↓
すぐに退屈になる。
その時どんなわがままも聞いてくれた。
「テレビ見たい!!」と言えば
当時としては簡単に買えないテレビを買ってきてくれて、
「お菓子欲しい!!」と言えば大概の物は買ってきてくれた。
↓
病状が夜中にだけ出る形だったので本人は全く病気の自覚無し。
退院できる日を指折り数えていたら2週間たってしまった。
↓
2週間目、本人は退院する気満々。
医者曰く「あの症状だったら絶対に死んでいるんですが・・・。」とのこと。
親も死ぬと思っていたので退院の準備(着替えとか靴とか)を
全く用意しておらずだだをこねて新しい服を買ってもらう。
↓
家に帰ると何もかもが新鮮で懐かしく感じた。
本棚に逆さまに入れた本でさえ愛おしさを感じた。
本能的に無事生還出来たことを感じ取ったのかもしれない。
↓
数年後に
「あの時実はお前は死ぬと言われていたんだよ。」と教えてもらう。
その時の感想は「ふ~ん」だった。実感が全然無く冗談だと思った。
↓
現在しぶとく生きています。

もしかしたらあれは医者の誤診かなとも感じて言いますが、
親はその時は気が気でなかったとのこと。
可能な限りは親孝行をしているつもりです。


404 名前:おさかなくわえた名無しさん 2009/02/08(日) 10:06:16 ID:G8NLGMdr

>>403
差し支えなければ病名を。


405 名前:403 2009/02/08(日) 10:19:04 ID:pQNeCyaU

>>404
良くは覚えていないけど「いずみねつ」という単語は覚えている。
ある一定時間になると熱が40度以上出る症状だったそうです。
ただ、403で書いたとおりその症状が出るのは夜中だったので
自分はほとんど覚えていません。

唯一記憶にあるのが
夜目が覚めると天井がぐるぐる回っていて
ふらふらになりながら病院の廊下を徘徊したところを
父親に保護されて抱きかかえられて
病室のベッドにもどったと言うことくらいです。

ちなみに余命2週間と知らされていなかった祖母は
「こんなわがままな子でいいのかい?。しっかりと躾なさい。」
と母を叱ったそうです。婆ちゃんごめんよ。


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