【スレ46】災害時に避難所で生活していた人
83 名前:おさかなくわえた名無しさん 2009/09/25(金) 11:39:39 ID:ho6iD2oD
いわゆる体育館みたいなところで
避難所生活を送られた経験のあるかた、
辛い体験を掘り起こすようで申し訳ないんですが、
その「避難所生活」について教えていただけるとありがたいんですが。
89 名前:おさかなくわえた名無しさん 2009/09/25(金) 14:53:11 ID:spdZutx3
>>83
被災者本人ではないけど、
医療関係者なもので阪神大震災のとき神戸に派遣された。
病院の会議室みたいなところに
ずらーーーっと毛布敷いて適当に寝た。
でもすっごい寒かったんで、
寝ずにストーブの周りでだべってる時間のほうが長かった。
被災から2週間くらい経ってたんで、食料の支援は充分だったけど
(ていうか余りまくり、コンビニおにぎりとか「自由に取って食べてね」状態)
トイレの水が流れなくて「溜めてる」状態だったのには閉口したなあ。
被災者が生活している体育館とか公民館もまわったけど
いわゆる「ダンボールハウス」を体育館の中につくって
プライベートを確保していたのが印象的だった。
93 名前:おさかなくわえた名無しさん 2009/09/25(金) 16:00:41 ID:U4j3L7YO
>>83
中学生の頃、水害で公民館に避難したことがある。
夕方からの大雨で夜7時くらいに避難勧告が出た。
勧告はまずテレビニュースで知って、
そのあとすぐ町内連絡網で電話もかかってきた。
(一応防災放送もあるんだけど、雨音で聞こえなかった)
それから親が着替えや洗面道具、缶詰などの非常食を揃え、
水筒やポリタンクに水を入れたのも持ち、
火元その他の点検をしてから避難。
家から公民館までは坂道を5分くらい登ったところで、
急流の河のような道を膝下まで水につかりながら歩いた。
(小さい子は流される危険性があるので大人が背負って避難)
私の担当は猫で、バスタオルでしっかりくるんで抱いて避難した。
公民館は床に畳が敷き詰められ、備え付けの布団類が積まれてた。
(町内会の役員さんたちが一足先に準備してくれてた)
近隣の20家族くらいが避難。
その頃にはもう停電してたので、発電機を起動。
ただし照明はろうそく・キャンプ用ランプなど。
テレビは電波の入りが悪いので消して、
ラジオをみんなに聞こえるように最大音量にしてかけた。
その夜はみんなで持ち寄ったもので夕食。
ビールもあったけど、誰も飲まなかった。
94 名前:水害避難2 2009/09/25(金) 16:01:39 ID:U4j3L7YO
やっぱり大変だったのはトイレ。
断水のため、ゴミ袋に新聞紙を入れたものに排泄するようにとの指示あり。
当時の電話はまだ旧式(非電化)なお陰か、通じてた。
外出先から戻らない家族からの連絡を待ってる人も多く、
お年寄りや小さい子だけが布団で寝て、ほかはみんな起きてた。
夜中何回か消防隊や警察(かな?)の巡回があった。
朝になって雨は止んだけど、
まだ崖崩れなどの心配があるということで
引き続き公民館生活。
午後になって救援物資の段ボールが届く。
パン類・缶詰・缶飲料・お菓子・タオル・歯ブラシ・石鹸類など)
(※当時ペットボトル飲料はまだなかった)
家の様子を見に行く人・必要な物を取りに帰る人が何人か。
子供たちは公民館の外に出るの禁止。
町内山の手のほうの公民館の救援物資が足りないということで、
うちの公民館の分から少し分け、お父さんたち何人かで届けに行く。
夕べ帰れなかった人たちも戻ってきた。
95 名前:水害避難3 2009/09/25(金) 16:04:39 ID:U4j3L7YO
被害状況はラジオ&時々消防隊が伝えてくれたので、
状況は大体わかった。
情報がないとかなり不安だったと思う。
市内の平地部分は家屋浸水がひどくて死者も出てるらしく、
うちの近くでも山沿いの崖崩れで流された家があった。
公民館内では
「とりあえずみんな元気でいられてありがたい」という話でもちきり。
不機嫌だったり仕事の話をする大人は一人もいなかった。
小さい子たちはちょっと遠足気分なのか楽しそうに遊んでいる。
私は本を持って行ってたんだけど、気持ちが落ち着かず、
ラジオを聞いていたいのもあって、ほとんど読まなかった。
避難中はずっと大人の手伝いをして過ごした。
4日目の朝、避難勧告解除。
家の浸水など諸事情で帰宅できない人だけ残して解散。
うちも家の前の道(川沿い)が崩れ通行不能になってたけど、
裏庭から入れたため帰宅することができた。
その翌日からは学校に呼び出され(※夏休み中だった)、
市内の被災施設の清掃に従事。清掃は一週間くらい続いた。
避難生活で印象的だったのは
助け合うという雰囲気がすごく濃かったこと。
大人たちがものすごくかっこよく思えた。
特に頼もしかったのはお父さんたちで、
土嚢の積み直し・流された土砂の片付けなど大活躍だった。
96 名前:水害避難4 2009/09/25(金) 16:06:28 ID:U4j3L7YO
大震災などを経験された方に比べれば、
全然たいしたことのない体験だけど、
期間が短くても避難生活はやっぱり不安で
一日も早く家に帰りたかったのを覚えてます。
終わりです。
すみません、ちょっと余談です。(※動物ネタです)
うちは猫を連れて避難したんだけど、ありがたいことに
当時うちの近所ではペットも避難して当然という雰囲気で、
ほかにも犬や猫が数匹、ハムスターもいた。
猫は部屋で、犬は公民館玄関の土間で生活。
ただしうちの猫は怯えて床下に入りこみ、帰宅時にも出てこず。
帰宅後、数日公民館に通ってなんとか捕獲した。
実は雨の中抱っこしての避難中、
怯えた猫に引っ掻かれまくり、その上おしっこまでされてしまい、
公民館に着いた時には全身ずぶ濡れ&血だらけetcで大変なことに。
着く早々、着替えに帰る羽目になった。
でも猫が無事で何より。
99 名前:おさかなくわえた名無しさん 2009/09/26(土) 01:23:35 ID:2jWqkjt1
水害避難経験者さん乙です。
ペットもぶじでなにより。
夫が独身時代、ボランティアで
阪神大震災のお手伝いに行ったそうなのですが、
ペットの存在は貴重と申しておりました。
とてもなごむのですってね。
104 名前:おさかなくわえた名無しさん 2009/09/27(日) 13:14:29 ID:oD55k0iY
阪神大震災で2泊だけ避難所生活しました。
避難所は市民グランドだったので救援物資は2日目まで来ず、
(学校が避難所になってる所が優先順位が高いそうです)
届いても子供などが優先で全員分はありませんでした。
体育館はスペース不足で、グランドには多数の車が乗り入れてて
ペット連れの人はほとんど車中泊で、テントを張ってる人もいました。
火事が多かった地域だったのですが、水が出ず消火できないので
消防車のサイレンがどっかから常に聞こえてる状態でした。
ラジオを持ってる人はずっと鳴らしてるので、
ラジオの音と女性(ほぼ母親)が動き回ってたのが印象的でした。
私は自宅がワンルームマンションだったお蔭か建物被害はなく
固定電話が2人(会社の先輩と友人)だけ通じたので
2日目は連絡と片付けで自宅にいて夜だけ避難所に行きました。
まともに眠れないので厚着して隅っこに座ってましたが
同じような人が多く何となくピリピリした空気が漂ってました。
3日目には仕事(当時社会人一年目)が再開したことと
阪急電車が西宮まで復旧して友人宅に居候させてもらったので
2泊だけでしたが何ともいえない圧迫感のある雰囲気がキツかったです。
自宅のライフラインの完全復旧まで1ヵ月半かかりました。
その間は仕事に行きつつ3日に1度自宅に戻る生活で
食事も普通にしてましたが、かなり痩せて肌はボロボロでした。
自宅が倒壊してずっと避難所暮らしならもっと酷かったかも。
105 名前:104 2009/09/27(日) 13:16:28 ID:oD55k0iY
夫とは知り合う前ですが、夫も被災者で自宅は半壊でした。
室内犬がいたのですが、家具が倒れてきたことでパニックになり
吠えたり噛み付いたりと凶暴になったので体育館に入れるわけにいかず
グランドに車を乗り入れて、昼は館内、夜は車中泊したそうです。
4日目くらいから雰囲気が悪くなり、食料配給で小競り合いがあったり
場所のことでトラブルがあったりしたそうですが、
10日過ぎると物資が充実したしたことと、
帰宅した人が増えてスペースにゆとりが出来たこともあり
トラブルが減ったそうです。
ただあまり思い出したくないというのもあってか、
義母を含めて当時の話はほとんどしません。
上記の話も結婚当初に私も被災経験があるということで
義母から聞いた程度でそれ以降は震災の話はしなくなりました。
避難所での滞在時間が少ないこともありますが、
細かいことをあまり憶えていなくて詳しく描写できなくてすみません。
106 名前:おさかなくわえた名無しさん 2009/09/27(日) 14:14:36 ID:5G45DSOc
104さん
貴重な体験談をどうもありがとうございます。
ご主人様やそのお母様が思い出したくないぐらい
辛い体験だったのでしょう
私の知り合いも避難所生活はしなくて済んだそうですが
いまだに当時のことを思い出すと過呼吸になるといってました。
ご家族の平穏を心よりお祈り申し上げます。