【スレ60】私立美術大学を卒業してグラフィックデザイナーになった人
178 名前:おさかなくわえた名無しさん 2013/01/29(火) 22:45:57.37 ID:3WxlUs1s
私立美大卒で、現在グラフィックデザイナーです。
母子家庭でしたが、
大学卒業までの費用は父親が出してくれるという取り決めだったようです。
途中、父からの振込が途絶え(実際振り込んでるのは父の再婚相手)
トラブルがあったりしましたが、無事再開され、卒業できました。
在学中から、教授の紹介で入った
デザイン事務所(個人事務所)でアルバイトをしていました。
アルバイト代は、1日8~10時間労働で、日給7000円ぐらいだったと思います。
念願のデザインの仕事ができて、当時はすごくうれしくて
やる気がみなぎり、充実していました。
卒業後もそこに就職することになります。
なので、就職活動をしなくてすんだのは幸運でした。
就職後は、1日12時間労働+徹夜の日は始発まで、
土日祝日出勤もたびたびありで、月給15万円ぐらい。
最高連続勤務記録は56時間ぐらい(二晩完徹)。
日数だと2か月間休みなしのときも。
アルバイト時代とのあまりの待遇の違いにおどろき、
心と体を病んでいき、すぐに辞めたくなりました。
通勤途中で具合が悪くなり、乗換駅で病院に行き、
点滴をしてもらったあと出勤ということもありました。
(医者には「会社を辞めれば治るよw」と言われました。)
その後10年ほど、近所の病院に通って薬をもらうことになります。
家に月3万円入れ、高校時代の奨学金を返還しつつ、
1年で100万円貯めて、一人暮らし開始。
個人事務所なので、いずれは独立が前提です。
しかしお給料は少しずつは上がりつつも安いので、
まったく貯金ができない。
高校は都立の進学校卒で、
高校時代の友人は大企業に勤めている人も多く、
生活があまりに違いすぎて惨めになったりしました。
事務所の景気がよくなって月給24万円ほどになり、
ようやく貯金ができるかと思いきや、
翌年度、なんの知らせもなく17万円ほどに。
もう無理だと思い、その半年後に貯金もあてもないまま独立。
179 名前:おさかなくわえた名無しさん 2013/01/29(火) 22:47:49.42 ID:3WxlUs1s
独立後3か月は失業保険でなんとか暮らしつつ、
いままでの仕事関係の人や、美大時代の友だちに声をかけ、
細々とした仕事をもらいます。
ポスターのデザインを数千円でとか、
地図のトレースを明日の朝までに…で3000円とか。
独立後半年ぐらいで、かなり大きな仕事の話をもらいました。
しかし、それがお金になるのは半年後から。
それじゃ生活できないので、派遣会社に登録して、
試食販売員とか倉庫のピッキング作業とか、
デザインとまったく関係ないアルバイトをやりました。
慣れない接客や肉体労働と、デザインの仕事、
という生活を2年ほどしていました。
いまから1年半ほど前、
ようやくデザインの仕事の収入が月20万円ほどになり、
派遣のアルバイトは辞めました。
半年前からは月40万(たまに60万)になり、
3か月前からやっと貯金を始められ、いま50万円ほど貯まりました。
180 名前:おさかなくわえた名無しさん 2013/01/29(火) 22:58:11.47 ID:uW8rLRwS
>>178
くだらない質問ですけど
子供のころから絵は得意でしたか?
賞とかよくもらってましたか?
182 名前:178 2013/01/30(水) 01:01:34.65 ID:kn09vQ2E
>>180
図工、美術は(ついでに音楽もw)ずっと5段階で5でした。
賞は幼いころに何度かもらったことがあります。
「大人になったら絵描きさんになる!」といつも言ってました。
デザイナーなんて職業は知らなかったのでw
小学校高学年のときクラスメイトにすごく絵のうまい子がいて、
「あ、自分は才能ないな」と悟りました。
すごくショックでした。
でも将来は美大に行くことは決めていて、
その気持ちは揺らぎませんでした。
大学は都内だったのですが、地方出身の人の方が多かったです。
そういう人々は、きっといままでクラス一、学年一、絵がうまかったんでしょう。
美大に入ってまわりができる人たちばかりで挫折したのか、
大学に来なくなったり中退する人も何人かいました。
自分はすでに小学校で自分のレベルを把握してたので、
のびのびと楽しんでました。
月~金は6時限、土曜日は4時限、目一杯授業をとってました。
勉強が楽しくて仕方なかったです。
サークル活動(音楽)もがっつりやってました。