【スレ52】公立の療養所で虐待のような喘息治療を受けていた人
419 名前:おさかなくわえた名無しさん 2010/09/14(火) 14:00:39 ID:K2ZOpIAi
呼吸器系の病にかかっている人のお話が聞きたい。
433 名前:おさかなくわえた名無しさん 2010/09/15(水) 02:17:49 ID:09XOvdW3
>>419
呼吸器系の病にかかってます。
2才頃~現在29才まで。
公害病認定を受けているので、
医療費の負担がないのが本当に有り難い。
子供の頃はわりと酷くて、
発作の最中は苦しくて痛い状態が何十時間か続くから
もう早く死にたいなあと思っていたし
日常生活も、薬の副作用やら親の医療方針やらで色々辛かったので、
次の発作が起きる前にポテチいっぱい食べて(コイケヤのりしお)
なかよし読んで、息が苦しくなる前にスッと死にたいなーと思ってて
なんか特に悲壮感もなく、普通に死ぬのが前提で生きてる感じだったから
「大人になる自分」というのがあまり想像つかなかったけど
中学生の頃に、
それまで使ってた薬が薬害問題になって使えなくなって
その頃出回り始めた新しい薬を使ったら、
それが数年かけて病状を改善してくれて
今、すごい普通に生きてる自分にビックリ(゜∀。)アヒャー
薬はもちろん今も毎日使ってるし発作もたまに起こるけど、
調子良かったら走ったりできるし、仕事もできるし、このまえ山登りしたし、
死ななくて良かった!子供の自分よく生き延びた!GJ!と思います。
自分の人生、映画でいうとエンドロールがずーっと15年も続いてる感じです。
終わると思って生きてきたから、今はオマケみたいな感じで
だからすごい気楽に楽しく生きられてます。
人生設計無さすぎ!老後に危機感を持て!って人にはいわれますが…。
434 名前:433 2010/09/15(水) 03:07:30 ID:09XOvdW3
知らないっぽいところで、療養所の生活を。
小学校高学年の時に、公立の療養所に送られました。
行きたくない、家にいさせて下さいと泣いて親に頼みましたが、
最終的に「あんたがいると何もできない」と母に言われた一言で、
諦めました。
両親共働きで、発作が起こるたびに
母は私を病院に連れて行かなくてはいけないので
仕事に支障がでるし、負担だったのだと思います。
療養所は家から3県ほど離れた山の中で、
看護婦さんとお医者さんが常駐してました。
しかし、なぜか薬を一切飲んではいけないという決まりがあり
(公立でこんなことやってたら今は大問題でしょうね…)
それまで母親の方針で、
処方された分量より多い薬を飲んで薬漬けになっていたのが
療養所に入った初日から薬を一切飲めなくなって大発作を起こしました。
夜は毎日発作で眠れず、
朝起きたら発作が起きていても体操&ランニング、
呼吸訓練では仰向けになったお腹にボールをドスドス当てられ、
苦しくて動けなくなると、精神が甘いと怒られる。
本当に本当に地獄でした。
息ができないので酸素が不足して
チアノーゼ(爪や唇が青くなる)になったり
失禁してしまったりすると、医者がきてくれる感じでした。
現在では、病気のメカニズムがわかってきて
治療方針が大きく変わりましたので、上記の様なことはないと思いますが、
当時はそういう根性論とか精神論が、医師の間ですらまかり通ってました。
国立の療養所ですら、発作で呼吸困難に陥っている子を
無理矢理走らせたりしていたそうです。
あと10数年遅く生まれてれば、
こんな目にあわなかったのになあ~と思います。
436 名前:おさかなくわえた名無しさん 2010/09/15(水) 03:53:23 ID:TMJQ/lR7
>>434
喘息の発作が起きてるのに走らされたの思い出した。orz
442 名前:おさかなくわえた名無しさん 2010/09/15(水) 19:22:46 ID:Aj9vXZj3
>>434
療養所の方針も凄いけど、
>それまで母親の方針で、
>処方された分量より多い薬を飲んで薬漬けになっていた
ってのがkoeeeeeee!!!
お母さんは医療従事者なんでしょうか?
それとも、テレビでやってる医療系バラエティ番組の情報を信じ込む人?
治療以外の「ちょっと??」って思った母親の方針などもお伺いできますか?
444 名前:おさかなくわえた名無しさん 2010/09/15(水) 22:22:44 ID:roRIsTCo
>>434
>「あんたがいると何もできない」
うわ、きっつー。
でも障害や難病の身内の世話で
自分の時間が持てなくなる人だって辛いんだもんな。
TVなんかじゃ在宅で介護することが美談として語られがちだけど
綺麗事じゃ済まされないな。
447 名前:434 2010/09/16(木) 01:05:14 ID:bbGNriAT
>>442
幸いけいれんなどは起きなかったですが、
処方の2.5倍量くらい飲むと体がふわふわして
頭がガンガン痛んで、目の前がキラキラして吐き気がすごかったです。
他の薬も多く飲んでたので、
テオドール単体の副作用ではないかもしれませんが。
母は医療従事者ではないです。
通院や夜間救急にいくのがしんどかったので、
たくさん薬を飲ませてなんとかしようとしてたのだと思います。
母自身が幼少時にやや病弱で、
服薬して完治した経験があるせいか
子供が薬を大量に使用する事に対して
抵抗感が薄かったのかもしれません。
>治療以外の「ちょっと??」って思った母親の方針
当時は周囲の人や教師、医師に
「精神が虚弱なせい」「親が甘やかすから発作が起こる」
等と良く言われていたので、母もそれを信じており、
日常生活でも姉(健康児)には普通でしたが、
私に対しては異常に厳しかったですね。
でも、私自身も
「苦しいと思うから苦しいんだ」「心が健全なら発作は起きない」
と幼児の頃から言われていて、
自分がグズだから悪いんだと思っていたので
特に母の方針に対して疑問に思ったりはしなかったです。
発作が起きる時も、
周りにはできるだけ隠そうとして限界まで我慢してました。
息が苦しいのはグズの証明なので、
具合が悪いというのはみじめな事でした。
あ、でも「ちょっと??」って思った事もさすがにありました。
どんなに具合が歩くても
絶対に学校は休ませてもらえないのですが(入院時以外)
呼吸困難と副作用で玄関で動けなくなっている所を、
怒鳴って蹴られて家から出されて
ランドセル背負ってゲロの中を這うようにして
登校(二時間くらいかかった)した日は
さすがに、子供心に「なんか今ひどい目にあってる」とは思いました。
449 名前:434 2010/09/16(木) 01:39:52 ID:bbGNriAT
>>436
発作中のランニングはまさに拷問ですな
呼吸困難で、走りながらおしっこ出ちゃうんだよね
>>444
ほんとにそうですね。
今は母がそう言った気持ちも少しわかります。
それと、母にそう言われて療養所に無理矢理送られた事で
幼少時から薄々わかっていつつも直視していなかった(できなかった)
自分は家族のお荷物、皆の迷惑 という現実を
ガツンと突きつけられて、当時は大変にショックでしたが、
今となってはそれが良かったと思います。
おかげで、療養所を出てからは
親に対して他人の様な感じになってしまい
同じ家にいても交流や会話がほぼ無くなったため
12才頃から通院はもちろん夜間救急に運ばれる時も独り、
服薬の管理や公害医療手帳の事務手続き、
検診、更新など全て自分でやるようになり
結果的に薬漬けから脱することができました。
今は家族との関係もわりと良好です。
450 名前:おさかなくわえた名無しさん 2010/09/16(木) 08:29:41 ID:Sd03HJx7
ずいぶん心が広いんだな
452 名前:おさかなくわえた名無しさん 2010/09/16(木) 08:52:12 ID:dlVujtLE
434さん、
お差し支えなければ、療養所の生活をお願いします。
入居者はみな、学齢期の子どもばかりなんですか?
学校の勉強はするの?
子供同士の人間関係は、どんな感じなんですか?
実際に病気が悪化たらどうするの?
453 名前:おさかなくわえた名無しさん 2010/09/16(木) 23:11:38 ID:rq2bdUqU
喘息の治療って日本はだいぶ遅れてたよね。
80年代に吸入ステロイドが発売されたのに
第一選択となったのは2000年ぐらいじゃない?
医者ですらステロイドアレルギーがあったみたいで。
20年の間に一体どれほどの人が苦しめられたんでしょうか。
死亡者もかなり居たはずですよ。
454 名前:おさかなくわえた名無しさん 2010/09/16(木) 23:21:02 ID:XCPenr/V
療養所で病気を悪くして亡くなった子もいるんじゃないだろうか
ってくらいひどいな…。
455 名前:434 2010/09/17(金) 03:37:02 ID:JR9OIESx
>>452
>入居者はみな、学齢期の子どもばかりなんですか?
そこにいたのは小学校中学年~高学年の子だけでした。
たしか、その間しか入所できなかったように思います。
>学校の勉強はするの?
学習時間が一応ありましたが、
学校のような授業は無く、ほぼ自習です。
そのかわり、精神鍛錬の為の座学や、病気に関する学習、
病気に効くとされる体操や合唱、劇の練習、呼吸法の習得、
なわとびやランニングなどの時間がありました。
あとは山道を延々歩かされたり、冷水をかぶったり、掃除などです。
>子供同士の人間関係は、どんな感じなんですか?
普通に友達って感じです。
畳の大部屋で、10人単位くらいで寝起きしてました。
ケンカもたまにありましたが、だいたいはみんな常に息苦しいので
ケンカどころじゃなく人に意地悪する余裕も無く、
ただ生きぬくのに精一杯という感じでした。
夜中はだいたい苦しくて横になれないので、
布団に座って夜を明かすのですが
同じ部屋だったのぶちゃんが、
夜中に目を覚まして私に気付くといつも
「お母さんがやってくれてた発作が楽になるやつ」
というのを私にやってくれて、
でもそれは、卍固め?みたいにして
お腹の上に乗っかってギュウギュウするというものなので
腕とか痛いし苦しくて、でも優しさが嬉しくて、
どうしたもんかいの~と思ってましたw
私は部屋で一番症状が重かったのでみんな優しかったです。
456 名前:434 2010/09/17(金) 04:16:43 ID:JR9OIESx
>実際に病気が悪化たらどうするの?
一応そこには医者がいたので、
医者の部屋に行って治療を受けます。
当時のお役所で、
「肥満児向けの転地療養」「虚弱児向けの転地療養」
というのを同時に募集していたのを見たので、
おそらく甘やかされて育った子を親元から引き離して
規則正しい集団生活をさせ、根性叩き直す
→肥満も治る、虚弱児も強くなる!
というのと同じような考え方の元に、
あの療養所も運営されていたのではと思います。
なので、普通に発作が起きて動けない程度では、
医者どころか先生や職員にも無視され、
医師の部屋にいっても、水を飲まされて追い返されます。
本当に限界ギリギリになると、治療を受ける許可が下ります。
>>453
95~2000年で本当に一気に大きく変わりましたね。
薬害問題が吸入ステロイドの普及に一役買った
というのが皮肉な感じですが…。
吸入ステロイドが第一選択で処方されるようになって
死亡率もグンと減りましたが本当に遅すぎたと思います。
日本以外ではとっくに普及して、効果も上がっていたのに
ステロイド鎖国のせいで20年間、治るはずの人達が苦しみ続けました。
たった十数年で、
親の躾や心の甘えが原因なんて、誰も言わなくなりました。
あれはなんだったんだろ。と時々思います。
458 名前:おさかなくわえた名無しさん 2010/09/17(金) 09:59:01 ID:26PWvWm0
>>453さん、いろいろ答えてくれてありがとう。
ずいぶん大変だったんですね。
そういえば自分が子どもの頃、
過保護の子が喘息になる、とか
年寄りが厚着をさせるから喘息になる、とか、
聞いたことがあるような気がする。
無知とは恐ろしいです。
療養所時代の同級生とまだ連絡はありますか?
469 名前:434 2010/09/17(金) 22:34:10 ID:JR9OIESx
>>458
>療養所時代の同級生とまだ連絡はありますか?
ないです。
出る時に連絡先を交換しあうような事もなかったです。
みんな、あんまり思い出したくないのではないでしょうか。
苦しい思い出が多いし、
そもそも行きたくて療養所に行った子はいないと思いますし。
私も2枚だけあった療養所内での写真を、20才位の頃に捨てました。
その頃は親を恨んでいたので…。
でも同じ部屋の子がくれた消しゴムは、今でも大事にとっておいてます。