【スレ6】家業が3代続いたブリキ職だった人
87 名前:ブリキ屋 05/01/02 14:18:26 ID:1QSjG1w/
皆様はブリキ屋という職業をご存知でしょうか?
現代では家の雨どいの工事の職人程度でしか知られていませんが、
私の父まで3代の家業でしたので、ご紹介します。
昔、少品種の注文品をすべて手造りしていました。
例えば、米びつ、氷冷蔵庫、冷蔵ショーケース、ジョウロ、消毒器
ドーラン、木電柱の傘、看板、パーマのクリップ、煙突、
以上などを、ブリキ、トタン、真鍮、銅、ステンレスの
0.3mmから0.8mmくらいの薄板を加工して製品とするのです。
現在では、専業化していて見かけません。
今は看板屋、空調ダクト、冷凍ケース、業務用冷蔵庫、
医療用機器、建物の外装工事、製缶、屋根工事、等に分類されるでしょう。
そして機械化、金型でガッチャンとプレス機にて部品を作り、
流れ作業にて組み立て完成しますね。
88 名前:ブリキ屋-2 05/01/02 14:36:36 ID:1QSjG1w/
父は注文されたら、設計図もなしに、大体の寸法図にて殆ど製作していました。
戦時中、徴用されて戦闘機の製作に行ったのですが、
当時の思い出話で
「全国力を挙げての工場製作なのに、外装板を職人がハンマーで叩いて作っていた、
プレス機、金型など無かった。お粗末なもんだった」
との感想でした。
終戦の時、それまで贅沢品は禁止されていたので、
女性の化粧品が無くパーマの際に髪を巻いて、
クリップ留する品を製作して儲かった時期が有ったそうです。
半年もしたら大手の工場が立ち上がり大量生産、品種良好の製品が出回り
売れなくなり、終了しました。
職人として腕があったので、終戦時も飢えることは無く、
廃材の大型ミルク缶を解体して薄板とし色んな物を造り、
その品を農家で物々交換にて米と交換してくれる業者が来たそうです。
例えばジョウロ、米びつ。
89 名前:ブリキ屋-3 05/01/02 14:55:29 ID:1QSjG1w/
私の友人、知人の息子達は職が無いのが多いのです。
せっかく、私立の三流大学を卒業させても、月8万円のアルバイト生活です。
私の祖父はいっも7,8人の職人を雇っていたそうです。
尋常小学卒後、見習いとして住み込み、衣と食は与えられて、
休みは盆暮のみ、給金はなし、こずかいのみです。
「お前の爺は田舎から、人買い見たいな方法で連れてきて、過酷に働かした」
と言いたい人が居るでしょう。本当は反対なのです。
農家が次男、三男を連れてきて「どうか、職人に仕込んでくれ」と頼みこまれて、
住み込みの見習いにしたのです。昭和の初期の話です。
女の子でしたら、野麦峠ですかね?
職人としての稼ぎが有りだしたら給金は出ます。
それを蓄え10年ほど修行したら、独立するのが慣習です。
つまり、今の大学卒の年齢の時期には、
独立して弟子を1,2人雇い親方となるのです。
今の、職なしの子供を持つ、父親の嘆き、ぼやき、悲嘆、を聞いたら
昔の徒弟制度の良さも感じます。世の中、大卒の職はそんなに無いのですね。
90 名前:おさかなくわえた名無しさん 05/01/02 15:58:42 ID:8ZCfooiV
>>87ー89
どこかのコピペか、気のいい年配の方の書き込みかわからないけれど、
貼ってくれた人ありがとう。
572 名前:ブリキ屋ー4 05/01/24 21:02:00 ID:zhhhmvWq
コピペ?言われると、少しうれしいな!
頑固な明治生まれのブリキ職人の話の追加です。
人にはチャンスが少なくても人生に3度はあるそうです。
親父には戦後の物がない時代にパーマ用品のまがい物が売れた半年に稼いだ金で
当時焼け出され、転居した借家をS23年に5万円で購入できました。
そして、S40年に店の前にデパートが建ち、貸してくれと言う散髪屋さんからの家賃収入が
高卒の初任給3倍程度が毎月入って来るようになり、念願の漁師になれました。
プロの漁師といっても、収入は少し、家族は漁稼のうなぎに飽き飽きしましたが
10年もの間何時でも食事できる環境は、私の舌を肥やし、
今時フアミリーレストランのウナギドンブリにびっくり、
「何じゃこりゃ、豆腐で出来てるのか」天然物にはかないません。
実家には祖父、父が作った品が残っています。
戦後に放出されたアルミ合金のジュラルミンがあります。
戦闘機や輸送機の外装材ですが、それで作った
ボストンバック、飯台、教則台、厚い銅板を錫メッキした材料の水槽
一世代(30年)どころか、重いので正月しか使わないテーブルはジュラ板の厚さ5mmはあり
普通の使い方さえしたら1000年は壊れないよ。(荷重を均等に掛けたら象でも乗せられる?)
573 名前:ブリキ屋-5 05/01/24 21:35:14 ID:zhhhmvWq
門前の小僧は経を読みます。
ブリキ屋の息子は何にも教えてくれなくても見よう見まねで、
金きり鋏も使い、半田付けもできる。
だから四方手裏剣より、八方手裏剣が良く板に刺さり使える事くらい実体験。
同級生にあげてたけど、怪我人がでなくてよかった。眼球くらい軽く貫通します。
当時、隠密剣士、伊賀の影丸、流行っていた時代でした。
楽器の中で1番大きな音が出るのは何でしょう?
金属系の打楽器ですね。
シンバル、銅鑼、そして拍子木もよく響きます。
その楽器に似た物が、ブリキ屋の工具であり、商品です。
硬いものがあたりそれを共鳴する薄板があります。
だから、町内中に親父がたたく拍子木の音が響き渡ります。
そんな大音響でも5mくらい離れた障子1枚の仕切りのみの6畳間で小学生の私は寝てました。
お腹の中に居る時から聞いた音ですから、気になりません。
だから今でも工場のコンプレッサーや作業の騒音を聞いたら自然に眠くなります。
銭湯からの帰り、150mくらい離れた所でも父の作業の音が聞こえたものでした。
今の作業は薄板の折り曲げは全て、機械作業ですので騒音は出ません。
574 名前:ブリキ屋-6 05/01/24 22:10:11 ID:zhhhmvWq
S30代の小学生を主人公にした漫画に 「夕日丘3丁目」がありますね。
しかし、今まで出てこない話題が有りますが、みなさん気がついていますか?
それは、勤労小学生、空気銃、街を放浪する基地外、角付け、橋の下、です。
工作や作業の時、腕が2本で足りない
後1,2本あったら便利で能率が良いのにと思った事は時々ありますね、
「千と千尋」にそんな爺ちゃんがいましたが。
だから、非力で未熟練の小学生でも役に立ちます。持ち、支え、引く、しか出来なくても。
家庭と職場が同じは、同居の小学生には時々辛く感じました。
ある日曜日の夕方、同級生の女の子が畳職人の父親と仕事帰りを見かけて、
「僕と同じだ、頑張ってね」と感無量。そんな小学生は良く見ました。
父と映画の帰り、繁華街で花売り小僧を見かけて、これは辛いと思ったものでした。
ビートたけしさんの「オールナイト日本」のラジオ深夜放送の中でも
お父さん、お母さんと3人で塀のペンキ塗りに行った話しが時々ありましたね。
579 名前:おさかなくわえた名無しさん 05/01/25 00:12:31 ID:TCKyX61V
>>572-574
あなたの文章はどちらかというと悪文だし読みにくいが
勢いと年期を感じられてとても好きです。
内容も楽しいです。