【スレ1】祖父が元特攻隊員で米軍の基地港に住み込みで働いていた人
995 名前:おさかなくわえた名無しさん 04/10/14 21:41:43 ID:wHtMVn30
米軍の基地港に住みそこに働きに行っていた祖父の話を書きます。
18くらいの時に、石垣島に特攻として配備されたものの結核を患い、本土に帰国。
終戦後はやくざやさんをしていました(でも実家は駄菓子屋)。
祖母(マレーシアの英国人家庭に養女に出されていて、敗戦後日本に帰国)と出会い、
当時、佐○保の基地の消防署で働いていた彼女の紹介で
米軍基地の下働きに出たそうです。
毎日スーツ姿で草むしりをしていると、ある日将校から声が掛かり、
厨房の仕事を紹介され、後に将校付きの厨房のコック長になりました。
その年代にしては大変背が高く、かなりの男前だったので
祖母以外にも遊びは激しかった模様…。
高給取りでしたがクラブやゴルフで豪遊を繰り返しあまり貯蓄は残っていません笑。
その後コックの仕事に飽きてしまい、空母などに給油をするセクションに異動しました。
28 名前:おさかなくわえた名無しさん 04/10/14 23:59:43 ID:wHtMVn30
祖父はその後、危険物取り扱い関係の資格をいくつも取ったり、
米軍のお金でMITに短期留学をしたりと、きつい仕事ながらに恵まれていたようです。
タンクの仕事について。
重油を何万トン?と蓄めているタンクなので、巨大な施設になります。
タンク同士の接続やそのものの劣化
(内部で浸食が起こりガスが出たり重油が漏れてしまったり…)部分を直し、
全体の管理をします。
丁度ベトナム戦争があったということもあり、とにかくハードだったみたい。
職業病としては揮発するものの所為で、やはり気管支~肺に癌を患う方が多く、
祖父も肺癌になりました。
退役までに祖父は、太平洋を管轄とするオイルセクションでトップにまで上り詰めたそうですが、
会議やパーティ以外では、ほとんど作業着による職務だったそうです。
私の父は普通の勤め人ですが、
幼少の頃は家に仕事仲間(アメリカの人)がよく出入りしていて、
ワーゲンのミニバスで阿蘇山までピクニックに行ったりしたそうです。
祖母が英国人家庭に育ったことと、祖父がおしゃれなものを好んだことで、
食卓も洋食が多かったようです。
29 名前:おさかなくわえた名無しさん 04/10/15 00:06:58 ID:m/93BmJ8
>>28
特攻隊員が米軍に就いたことについて心情的に問題を感じませんでしたか。
とても大きな違和感があります。
31 名前:28 04/10/15 00:28:37 ID:5IsMVORt
29
私も疑問に思いました。
現在祖父は病気が重く、訊ねることが出来ませんが、
父から聞くに特攻での生活は完全に人格を無視したもので、
その後のやくざやさん
(これについては多くは語って貰えません。多分結構やばいことがあったものかと)
生活も業務が正当に評価され、勉強もできた基地勤務に比べたら、
きつく悲しい思い出のようです。
ごく個人的な見解ですが、
「日本政府もアメリカも嫌い、しかし利益をもたらしてくれるならば好き」
というものは感じました。
食べて父や曾祖母を養っていくためには拘っていられない、というのもあるかと思います。