【スレ28】バブル崩壊で会社が倒産した人
803 名前:おさかなくわえた名無しさん 2007/09/28(金) 22:08:14 ID:KD6vWzv8
えっと、突然勤めていた会社が倒産(自己破産)で
今日を持って全員解雇と告げられた私の一日・・・
っていうのは、ガイシュツで
804 名前:おさかなくわえた名無しさん 2007/09/28(金) 22:10:56 ID:P3Dj+2Lt
>>803
聞きたい
816 名前:おさかなくわえた名無しさん 2007/09/29(土) 02:09:16 ID:RFVhoSuB
社員旅行の帰路、
バスの中で全員解雇を告げられたなあ。(遠い目)
その一ヶ月前から、
新規受注取らなくなったせいで作業が減ってたし、
うすうす気づいてはいたけど、
そのシチュで解雇通告ってありかよ?って感じだった。
その翌週からは早速、
工場の巨大な機械をバラす専門家が入ってきて、
俺達は遠巻きに見てるだけ。
827 名前:おさかなくわえた名無しさん 2007/09/29(土) 08:05:48 ID:5bM42HJ7
外資金融で仕事しているから、
別室に呼ばれたまま帰ってこなかった同僚(その場で解雇)とか、
リストラ対象の人の机の上に黒いゴミ袋が置かれて
「今日中に私物まとめて出てけ」などはちらほら見かけたが、
まさか自分の部署が対象になるとは思っていなかったことがあった。
部署全体で本国から来た偉い人との
ランチョンミーティングが社外のホテルで催された。
食事の後、突然
「本国の事業計画の見直しでこの部署の事業は日本から撤退することになった。
各自6カ月分の給料払うから自分で行き先を探すように」
と言われ、失業する羽目になったことがあった。
失業するとローンが組めなくなるからというので、
慌てて銀行行ってローンを組みまくった同僚が何人かいた
832 名前:803 2007/09/29(土) 12:56:05 ID:wCPcV5kN
倒産(破産)した会社に居た者です。
前にヅカの生徒のお世話話もさせていただきました。
会社は社長の父が一代で起こしたベビー衣料の卸メーカーです。
先代が亡くなり、先代の嫁が一時社長で繋いだ後、
2代目の社長の息子が新たに社長となり、前社長(嫁)が会長という
もろに「オーナー会社、2代目はバカボン」という状態の会社でした。
規模は本社に約80人、大阪支店に約10人
商品センターにパートも入れて約30人くらい。
ちんまりとした会社でした。
本社は一応「自社ビル」でしたが、
最上階に会長(社長のママ)が住んでいて
その会長個人の名義になっていたらしいです。
私がデザイナー&企画で入社したのが、
ちょうどバブルがはじけ始めた頃、
まだ会社は普通で、久しぶりの大量入社(9人)で、
歓迎会もそれなりにしてもらいました。
ただ、バブル時代に十数億のお金があったのをいいことに
銀行にすすめられてタワーパーキング(凄いボロ)を
3,4億で購入していました。
このあたりにバブルに踊らされて、
転げ落ちる中小企業の未来が潜んでいた感じがありました。
833 名前:803 2007/09/29(土) 13:20:51 ID:wCPcV5kN
募集要項にはボーナス2,5ヶ月×2とあったのですが、
一年目の冬には1,5ヶ月になっていました。
その頃、バブル崩壊という言葉がTVで取り上げられ始め、
体力の無い会社がつぶれ始めた時でした。
しかし、まだまだ社会全般に広がってはいなかったです。
2~3年目もボーナスは相変わらず1.5でしたが、
社内の改装だと言って、デザイナーには新しい机と椅子、
パーテーションまでつけてもらって快適で、
年に3回行うメーカー相手の「展示会」も結構な予算をもらって会場を借りて、
ディスプレイもプロを呼んでほのぼのとしていました。
4年目にはいった頃から社内に微妙な空気が流れ始めました。
業界で「うちの会社はヤバイらしい」という話がでてきていて
バブルで買った「タワーパーキング」の収入もさっぱり、
地価もおちて1億以下の値打ちになってしまっていました。
4年目の後半には生地メーカーからサンプル制作分の生地は売ってくれるけど
生産に入る場合は「要相談」と言われていたみたいです。
情報は社内の営業マンや、企画営業から入ってくるので
私達の女の子デザイナーは直接、聞かされていなかったので、
なんとなくマズイらしいといった話程度で、切迫感はまだ無かったです。
そして4年目はボーナスも出るか出無いかギリギリまで解らず、
世間より1ヵ月以上遅くになってようやく1ヶ月分貰える状態になっていました。
世の中はバブル崩壊という言葉だらけで、
「薄利多売」だの「価格競争」だの「価格破壊」だのと
今は無きダイエーの社長が叫んでいた時代でした。
835 名前:803 2007/09/29(土) 13:39:54 ID:wCPcV5kN
そして5年目、社内の空気はどんよりして、
経理に交通費の請求に行っても1000円以上は「ちょっと待って」と言われ。
私達は都内ちょっと、くらいなので貰えましたが、
営業のおじさんは東北出張とかは、全部後回し。
その月のあちこちの支払いが無事に済んだら、
社内の清算をしていたらしいです。
年に3回の展示会も会場も借りず、社内の1Fが商談室だったので
そこでディスプレイも無しで営業同士が受注会という形に形式になり、
ホントに潰れそうって誰もが思い始めました。
この年の秋以降、銀行から入金連絡のFAXを
イライラしながら待っている社長の姿を良く見るようになって、
かなり資金繰りに困ってる感じをうけていました。
年末のボーナスは遂にクリスマス後ようやく1ヵ月分、
同期入社の最後の子が退職して
自分も年越したら考えようかなぁって思いながら、
年末恒例行事、大掃除をしていました。
いつもならすんごい張り切って掃除する部長や専務(2人とも先代の娘婿)が
力が入ってなかったのが、思えばこれがXデーの予兆だったのかもしれません。
836 名前:803 2007/09/29(土) 14:33:41 ID:wCPcV5kN
そして年が明けて、
お正月休みが終わり出社4日目くらいのある日、社長から
「今日の5時に全員に話があるから、営業もその時間までに戻っているように」
と朝礼でのお達しがありました。
私はもうそこで「終わったな」って思ったので、
その日の仕事なんてやっても無駄とばかりに
机の整理をしたりして5時を待ちました。
隣の席で後輩が一生懸命プリント柄の絵を描いていたので、
もうやんなくていいよ。って言ったのですが、
真面目な子だったのでずっと続けていました。
5時になり、社員全員が営業のフロアーに集められ、
そこに社長、専務、部長、スーツ姿の?な人が順に現れ、
こちらを向いた時、最後に来た謎の人の胸に弁護士のバッチが光ってて
ついにキタ━(゚∀゚)━!!!! って、感じでした。
社長が、
「次の支払いの手形が不渡りになる事が明確となったので、
本日をもって破産宣告、会社は倒産、社員はこの場で全員解雇」と告げ、
債権者が会社に押しかけてくる可能性があるので
自分の荷物をまとめて一時間以内に退去してください。
と畳み掛けるように言いました。
社員にはこの日までの給与のみ支払われ、
解雇予告手当て分、退職金、経費立替分は「債権届け」の用紙を貰い
各自で裁判所に届け出るように言われました。
837 名前:803 2007/09/29(土) 14:34:36 ID:wCPcV5kN
この日が来ることは解っていましたが、
それまで法律には全く無頓着だったので
特に女の子の社員はみんなぽかーんとして、
「法的手続きって・・・?」って感じでした。
そこで、営業のおじさんが
「自分達は大体分かるけど、この子ら(女の子)は全然理解できてないのに
一方的に言って、解散」じゃ、困ると言い出して、
とりあえず会社のシャッターは下ろして、一旦座って、
細かく説明をしてもらうように社長達に言って、
一つずつ、細かい説明を受けました。
とりあえず社員の殆どが「いつか潰れるだろう」とは思っていたので
破産倒産については「言っても仕方が無い」スタンスだったので、
これから自分らのする事、まぁ下っ端の社員の私達は
払ってもらえないお金についてどのような手続きをするか?
という事について会社側の弁護士に説明してもらい、
私はこの会社とはさっさと縁を切りたいと思ったので、
法律上の手続きが分かった時点で
適当に私物をまとめて、とっとと帰りました。
他のデザイナーさんは、
自分の作ったサンプルやデザイン画、縫製指示書など
段ボールにつめて何箱も自宅に送ったらしいです。
営業の人達は一旦会社を出てから行き着けの居酒屋で、
各自の担当のメーカーにお詫び行脚をするために
打ち合わせとしていたらしいです。
女の子は結構自宅通いで未婚の子ばかりだったので
ダメージは少ないですが
家族を抱えて初代の社長の頃からの営業のおじさん達のダメージは
相当な物だったと思います。
私は実家を出てたものの、姉との二人暮らしで、
凄く貧乏というわけではなかったのですが
うちに着いて姉に「会社が潰れた」と言ったときの顔は
結構酷かったと後で言われました。
そして、うちについて姉に告げた後、姉が出してきたのが
「今日からの無職生活者マニュアル」という本で、
転職を考えていた頃に姉が買って持っていた本でした。
そこで「解雇予告手当て」や「継続医療保険」など、
会社を辞めたら、どんな手続きをするか、や、
あまり知られていない制度などを見つけて
翌日には、保健組合に出かけていました。
838 名前:おさかなくわえた名無しさん 2007/09/29(土) 14:40:14 ID:G7dWfbtQ
てーしたもんだ。
債権届はどうなった?
840 名前:803 2007/09/29(土) 14:45:01 ID:wCPcV5kN
取り合えず急ぎの手続きだけ終わらせると、
流石にどっと疲れたというか凹んだので、
実家に一週間ほど帰ってぼーーーっとしていました。
そして数日後に裁判所に届けてを出さなくちゃいけないから帰るね。
と言って実家を後にして新幹線で東京まで帰った次の日の朝、
関西淡路大震災が起こりました。
自分の首よりもビックリして、この頃まだ宝塚のファンで、
お気に入りがいる組のトップが退団する公演をちょうど宝塚の劇場でしていたので
そっちの方がめちゃ心配でした。
ちょうど10日後くらいのチケットも持ってて行く予定だったし
関西にもヅカのお友達がいたので、その子達の安否が判るまで心配でした。
841 名前:803 2007/09/29(土) 14:48:22 ID:wCPcV5kN
>>838
債権の届出は確か債権者側の弁護士さんから倒産後すぐに手紙がきて
「何日までに事務所に持ってきてくるなり郵送するなりしてください」
って感じで直接裁判所までは持っていきませんでした。
ただ、折角なのでこれも経験と思い弁護士事務所に直接持って行きました。
843 名前:803 2007/09/29(土) 15:21:18 ID:wCPcV5kN
最後になりますが、姉の持っていた本は非常に勉強になりました。
今でこそネットで何でも調べられますが、
当時はまだ「パソコン通信」の時代でしたから。
ネットはまだまだごく一部の頃です。
債権者の中では雇用されていた社員というのが一番の立場になります。
弁護士事務所に行った時、何年もかかる可能性があるのと
全額戻ってくるとは思わないでくれ、努力はしますが、と言われました。
まだ倒産で失職する人があまり多く無かったので、
職安ではかなりうるさく就職のあっせんをさせられました。
あまりぼーっとしてると職安の印象が悪くなるので、
早起きして今日は職安にいこうかなぁと思って準備をしていた時に
今度は地下鉄サリン事件がおきました。
色々と感慨深い数ヶ月後、デザイナーの募集などはさっぱりないので
仕方なく職安で紹介してもらった事務職の会社に採用されました。
そして、路頭に迷ってから3年くらい経って、
なんと!弁護士さんから手紙がきました。
その時、都内ですが引越しをしていて、お金など戻ってくるわけないと思い、
住所が変わった事も知らせず放置していたのですが、
債権届けをした金額ほぼ全額が戻ってきました。
弁護士さんもこれほどの返済が出来たのは珍しいと言われました。
商品センターの土地が以外にも、売れたのがよい結果になったらしいです。
しかし、やはりちゃっかりしていたのは
自社ビルの名義が社長の母になっていたらしく
会社の物ではないという事で、手放さなくても良いようになっていたそうです。
・・・以上で倒産を告げられた話は終わりです。
…そして次の事務職の会社でお局にいじめられ鬱病となり
退職したのはそれから5年後の話になります。
844 名前:おさかなくわえた名無しさん 2007/09/29(土) 15:24:33 ID:9A4GBbkd
>803
乙乙。
波乱万丈な人生ですなあ。
846 名前:803 2007/09/29(土) 15:43:06 ID:wCPcV5kN
>>844
波乱万丈のうちにはいるかどうか・・・
もっと強烈な人もいらしゃるでしょうし、
結構流されるままここまで着ちゃったって感じです。
たしかに普通ではないでしょうがね^_^;
ご質問が無ければロムに戻ります。
850 名前:おさかなくわえた名無しさん 2007/09/29(土) 20:24:58 ID:CeWtb/IH
>803
ほんと文章うまくてわかりやすく、ひきこまれました。
おつかれさまでした。
今はどうしてるのでしょうか?
851 名前:803 2007/09/29(土) 21:44:22 ID:wCPcV5kN
>>850
今は恥ずかしながらほぼ無職状態です。
激鬱な状態からは脱したものの、パニック発作、不眠症、季節性の鬱、
などの症状がずっと続いて普通の社会人には戻れそうにありません。
見事な脱落者です。
田舎に帰って、両親と暮らしています。
今の病気と折り合いがつくようになった頃から
人形制作に興味をもち、ビスクドールを制作するようになり、
ようやく東京の某店でオーナーに興味を持ってもらって
新人展に出品させてもらいました。
売れはしなかったのですが、
駆け出しにしてはそれなりに評価してもらって
今は田舎で人形を制作して、月イチくらいでお教室に通ったり、
知り合いの紹介でお人形を欲しいっていう人にはお安めでお譲りしたり
時々元気で時々落ち込んで、
でも自殺だけはしないって家族と約束をしてるので
頓服を飲んで寝てやりすごしたり、時々ココに書き込んだり、読んだり。
へたれの人生をしています。