【スレ46】無教会主義のキリスト教徒
686 名前:おさかなくわえた名無しさん 2009/10/18(日) 02:02:59 ID:+hwOYKxa
無教会主義の者です。
区分としてはプロテスタント。聖書は新改訳を使用。
無教会主義の「集会」についていくつか書いておきます
まず、「教会」と違って「牧師」と呼ばれる人はおらず、
「伝道者」「責任者」といった呼称が存在します。
「伝道者」「責任者」は複数の場合もあり、
「伝道者」の所属する集会は一つとは限りません。
どちらかというと、集会が伝道者に所属するイメージです。
これは「教会堂」を持たない無集会主義者は
伝道者を拠り所とするためでしょう。
wikiの無教会主義の項には
「洗礼や聖餐式等の儀式は行わない」とありますが、
これは集会によってまちまちです。
少なくとも自分の知っている・付き合いのある集会では行われていました。
日曜日には「集会所」に集って、賛美歌を歌い、聖餐式をし、
責任者(伝道者)の説話を聞き、お茶をしながら談笑して解散という流れです。
時としてバーベキューなどのレクリエーションを行ったり、
季節ごとにはイベントも催します。
また、呼称は様々ですが、
各地の集会が合同で大きな会場を借りてコンベンションを行ったり、
三日~一週間ほど合宿をしたりもします。
私はクリスチャン二世で、自分の両親が集会所の管理者だった為、
日曜日は朝から家の掃除をし、集会の準備をしなければいけなかったので
コンベンションや合宿は、自分では何もしなくて良かったので楽しかったですw
687 名前:686 2009/10/18(日) 02:32:26 ID:+hwOYKxa
集会を離れた理由は、人間関係です。
幼い頃からクリスチャンの子として育った私は、
当然のように毎週集会に集い、
18歳の時に自分の意思で洗礼を受けました。
初めから我が家が集会所だった訳ではなく、
大き目の一軒家が借家で出ていた時に、
たまたま引越しを考えていた両親がその家を借り、
当時は流浪の民だった集会が我が家を集会所としたものです。
ですから私の父は集会所の管理者ですが
「伝道者」「責任者」は別に居ました。
私は大学進学によって家を出ましたので、
集会に集うものとして会計等の細かい話にはタッチしていませんが
おそらく集会から家賃の援助はあったものと思われます。
他の無教会主義の集会では、
伝道者・責任者が集会所を持つケースが多いようなのですが、
うちの集会には責任者の他に、
集会所の管理者という立場が出現したのが不幸の始まりでした。
固定された集会所があり、いつも管理者がいるとなれば、
日曜日以外の日であっても人が訪れがちです。
しかもうちの父はお人好しで面倒見がよく、
日曜日以外でも集会に集っている若者に食事を出したり
悩み事の相談に乗ったりを当たり前のようにしていました。
長いことそんな状況が続くうちに、
いつのまにか私の父は、伝道者との派閥争いに巻き込まれていました。
父は頭は良いのですが欲がなくお人好しなので、
集会所の管理者を辞し、300km以上離れた場所へ引っ越しました。
私は既に実家を離れていましたが、引越しの経緯は勿論耳にしましたし、
クリスチャン同士がそういった形でいがみ合う
(まあ、私の父は実質相手にしなかったので「いがみ合」ってはいませんがw)
という事実に深く考えさせられましたし、
集会所を失っただけでなく、十年以上住んだ実家が無くなってしまった訳ですから、
ショックは大きかったです。
これ以降私は、信仰は自分と神の問題であって、
人間関係ではないと思い、集会・教会からは距離を置いています。
とはいっても、元々が厳格なカトリックでも
熱狂的な原理主義でもなかったうちの集会で育ったので、
普段は自分をあまりキリスト教徒として意識はしません。
自分と神とにおいて一般的な悪行から身を律していられるかといった、
意識の持ちようであって
至誠に悖るなかりしか、言行に憚るなかりしかといった
海軍精神みたいなものと同列といっていいでしょう。
688 名前:686 2009/10/18(日) 02:43:23 ID:+hwOYKxa
但し、最近、50を過ぎて信仰を持った私の祖父に、
「私の民を牧しなさい」とあるだろう、と言われてしまい、
それはそうなんだよなあ、と思ってみたりみなかったり。
で、一般生活において「キリスト教徒」と明かすと、
結構な誤解を受けてもにょることもあります。
例えば、やはりキリスト教徒というとカトリックのイメージが強い為でしょう、
洗礼名があるのかとかミサに出席するのかとか、
正月はあけましておめでとうでいいのかとかw
わたくしクリスチャンである前に日本人ですが何か?とw